サッポロビールは国営だった?3分でわかる創業の歴史

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皆さんこんにちは、麦風です。

今回はサッポロビールの歴史【創立編】をまとめたいと思います。。
日本ビール検定を学ぶうえで、出題頻度の高い日本史は重要です。

ビール検定ってそもそも何?という方はこの記事をどうぞ。

目次

明治時代のはじまり

サッポロビールのはじまりは、明治時代にさかのぼります。

王政復古の大号令(天皇中心の新しい政治を宣言)により新政府が発足したことから、明治時代がはじまります。

戊辰戦争(新政府VS幕府の戦い)で、江戸時代を築いた徳川家は敗れました。

開拓使麦酒醸造所の開業

新政府は対ロシア防衛と北海道開拓を目的とし、開拓使を設置します。

その後、サッポロビール株式会社の前身となる開拓使麦酒醸造所が開業したのは明治9年(1876年)のことです。

関わった主な人物は黒田清隆、村橋久成、中川清兵衛です

黒田清隆  元薩摩藩士。
開拓使長官。のちに第2代内閣総理大臣となる

村橋久成  元薩摩藩士。開拓使官吏。麦酒醸造所の建設責任者
中川清兵衛 醸造技師。ドイツで醸造を学んだ初の日本人

サッポロビール誕生

明治10年にサッポロビールが売り出され、箱館に寄港する外国船員らに高い評価を受けます。

ちなみに、黒船ペリーさんの日米和親条約にて下田と箱館が開港されていましたよねー。

その後日米修好通商条約で横浜、長崎、新潟、神戸も開港し、下田は鎖港します。

サッポロビールの始まりは、国営の醸造所だったのです。

国営から民営へ

その後北海道を管轄する国の組織は
開拓使→農商務省工務局→北海道庁と変わっていきます。

開拓使麦酒醸造所の名称は、農商務省の時に札幌麦酒醸造場となります。

北海道庁は札幌麦酒醸造所の払い下げを決め、大倉組商会が払い下げを受けます。

払い下げとは、国の財産を有償で譲渡することです。

払い下げを受けた大倉組商会ですがその翌年、醸造場を渋沢栄一、浅野総一郎らに事業譲渡します。

そして1887年12月、大倉自らも経営に参画し、「札幌麦酒会社」設立に至るのです。

名称の変遷運営の変遷
開拓使麦酒醸造所開拓使
札幌麦酒醸造所農商務省工務局
北海道庁
大倉組札幌麦酒醸造場大倉組商会
札幌麦酒会社渋沢、大倉、浅野ら
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この記事を書いた人

21歳でビール検定2級合格→ビール検定をアピールして就活に成功。現在はビール検定1級合格を目指し勉強中。「びあけん図解」「予想問題」などビール検定に役立つ記事を書いています。

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