皆さんこんにちは、麦風です。
今回はサッポロビールの歴史【創立編】をまとめたいと思います。。
日本ビール検定を学ぶうえで、出題頻度の高い日本史は重要です。
ビール検定ってそもそも何?という方はこの記事をどうぞ。
明治時代のはじまり
サッポロビールのはじまりは、明治時代にさかのぼります。
王政復古の大号令(天皇中心の新しい政治を宣言)により新政府が発足したことから、明治時代がはじまります。
戊辰戦争(新政府VS幕府の戦い)で、江戸時代を築いた徳川家は敗れました。
開拓使麦酒醸造所の開業
新政府は対ロシア防衛と北海道開拓を目的とし、開拓使を設置します。
その後、サッポロビール株式会社の前身となる開拓使麦酒醸造所が開業したのは明治9年(1876年)のことです。
関わった主な人物は黒田清隆、村橋久成、中川清兵衛です
黒田清隆 元薩摩藩士。
開拓使長官。のちに第2代内閣総理大臣となる
村橋久成 元薩摩藩士。開拓使官吏。麦酒醸造所の建設責任者
中川清兵衛 醸造技師。ドイツで醸造を学んだ初の日本人
サッポロビール誕生
明治10年にサッポロビールが売り出され、箱館に寄港する外国船員らに高い評価を受けます。
ちなみに、黒船ペリーさんの日米和親条約にて下田と箱館が開港されていましたよねー。
その後日米修好通商条約で横浜、長崎、新潟、神戸も開港し、下田は鎖港します。
サッポロビールの始まりは、国営の醸造所だったのです。
国営から民営へ
その後北海道を管轄する国の組織は
開拓使→農商務省工務局→北海道庁と変わっていきます。
開拓使麦酒醸造所の名称は、農商務省の時に札幌麦酒醸造場となります。
北海道庁は札幌麦酒醸造所の払い下げを決め、大倉組商会が払い下げを受けます。
払い下げとは、国の財産を有償で譲渡することです。
払い下げを受けた大倉組商会ですがその翌年、醸造場を渋沢栄一、浅野総一郎らに事業譲渡します。
そして1887年12月、大倉自らも経営に参画し、「札幌麦酒会社」の設立に至るのです。
名称の変遷 | 運営の変遷 |
開拓使麦酒醸造所 | 開拓使 |
↓ | ↓ |
札幌麦酒醸造所 | 農商務省工務局 |
↓ | |
北海道庁 | |
↓ | ↓ |
大倉組札幌麦酒醸造場 | 大倉組商会 |
↓ | ↓ |
札幌麦酒会社 | 渋沢、大倉、浅野ら |
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